阪神淡路大震災から25年が過ぎました。
もう四半世紀も経ったんですね。

正式名称は兵庫県南部地震

被害は阪神地域の方が甚大でしたので、もしかしたら知らない人もいるのかな。
神戸市の隣の明石市でも相当だったんです。
明石は西と東で被害の状態が変わってくるのですが、東側は家がつぶれたり亡くなった方もいたりしてたんですよね。

私の実家は明石市のちょうど真ん中くらいで比較的まだそこまで酷くはなかったけど。
でも家自体が古かったので、あの地震で屋根瓦や壁が剥がれ落ちたり、歪んで扉が閉まりきらなくなったり。
私の部屋は隙間が空いたりして、立て替えるまでの数年間はネズミの運動会がよく繰り広げられてました。



これからちょっと長くなりますが。

地震当時を思い出すと、最初揺れてる時は“地震”という言葉も思い出せないほど、「え?なにこれ?」で、いつまで続くの?って状態でとにかく固まってた。
外は真っ暗やから状況も分からない。
とりあえず夜明けまで待ちましたね。

当時、私の枕元には洋服ダンスの上に日本人形のガラスケースが置いてあって。
明るくなって気付くと、もう十数センチくらいで頭直撃くらいのとこに落ちてて。
大怪我負っててもおかしくなかったんですね。
兄の部屋も本棚が倒れてきてたんですが、二段ベッドで支えられてて無事怪我もなく(←上段は物置状態でした)
愛犬もどうしてたのか、落ちた壁にも倒れた小屋からもすり抜けてたようで元気にしてました。
今考えたら運が良かった。

それからは台所に散乱したお皿の片付けや家の片付け。
テレビで状況を知り、愕然。
だって昨日遊びに行ってた三ノ宮の高架下、めちゃくちゃやったんやもん。
確かその(遊びに行った)日は成人の日の代休やったはず。
あと地震が半日でも早かったら…って考えると恐ろしかった。
これがあの神戸なんて信じられん。
それに比べたら自分の家なんて…

それから高校生だった私は赤や黄色の札が貼り付いた家の間を通りながら自転車登校してたんですね。
長田に住んでた叔父は被災して近所に引っ越してきました。


あの頃は地震なんて考えてもなかったから、家具も固定はされてないし何の準備もしてなかった。
家が潰れるなんて想像もしてなかった。

前触れもなく一瞬で暮らしが変わってしまう。
何気ない毎日でも、こうやって平和に暮らしていられることの大切さを改めて考えさせられます。

自然の脅威には逆らえません。
でも他人事じゃない。
命を大切に。そして今笑っていられることに感謝して。


阪神淡路大震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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